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代表のことば
2025.11.10
今朝の気づき、心のノートに #18 1分の差
2025年11月10日 1分の差
先日、ある方と打ち合わせをしました。
「法人設立」のご相談で、熱海駅の駅ビルにある落ち着いたカフェでお会いする予定でした。
仕事の話もしやすそうな、広めのテーブルがある場所です。
駅前の駐車場はどこも満車でなかなか見つからず、気持ちが焦って探していました。
すると先方から連絡が入り
「もう満席なので、別のお店を見つけました。こちらに来てください」
とのこと。ようやく駐車できて、教えられたお店に着いてみると——
そこは、まさかの「アイドルカフェ」。
店の前には、ピンクのフリフリ衣装の女の子たち。
「いらっしゃいませ〜!」という元気な声に迎えられ、
男性2人が小さなテーブルで、
“いちごなんとかーベリー”というメニュー達にかこまれて打ち合わせ。
想像していた打ち合わせとは、かなり違う空間でした(笑)。
そんな中でも、私の心に残ったのは“時間”のことです。
待ち合わせは13時。
駐車場を探しながら時計を見るたびに、
「1分でも遅れたらどうしよう」と焦っていました。
結局、ギリギリ13時ちょうどに到着。
先方は大変穏やかな方で、
「全然大丈夫ですよ」と笑顔で迎えてくれました。
12時59分も13時1分も、待ち合わせ時間から見ればほんの1分の違い。
それなのに、どうしてこんなにも心が揺れるのだろう——
そんなことを考えました。
私は普段、腕時計をつけません。
けれど日本では、「時間を守ること」が礼儀であり、信頼につながります。
一方で、デンマークのある町では街中に時計がなく、
人々は教会の鐘や太陽の位置で時間を感じながら生活しているそうです。
「何時に」ではなく、「そのくらいの時間に」。
そんなおおらかな感覚で生きている人たちもいる。
時間を守ることは大事。
でも、時間に縛られすぎると、
ゆとりや優しさを失ってしまうこともあるのかもしれません。
あの日のアイドルカフェでの打ち合わせは、
思わず笑ってしまうような状況でした。
けれど、「1分の差」から考えた“時間のあり方”は、
今の自分にとって大切なテーマだったように思います。
※AI生成イメージです🍓

2025.11.04
今朝の気づき、心のノートに #17 誕生日
2025年11月4日 久しぶりに祝ってもらった誕生日☺
普段、私たち夫婦はあまりイベントごとを盛大にやるタイプではありません。
「そういえば先週、結婚記念日だったね」なんて、あとから思い出すことも多いくらいです。
そんな私ですが、先日、ちょっと特別なことがありました。
実家に玄米を取りに行ったら、部屋が暗くて、テーブルの上にはお寿司とケーキ。
ケーキにはロウソクが立っていて、「ハッピーバースデ~♪」と両親の歌声が。
そう、その日は私の誕生日だったんです!
久しぶりにちゃんと祝ってもらった誕生日。
どうしていいかわからないような、でもすごくうれしい時間でした。
ケーキには「おたんじょうびおめでとう 」と、全部ひらがなで書いてあって、
なんだか子どもの頃に戻ったような気持ちになりました。
思えば、「いくつになっても子どもは子ども」とよく言うけれど、
いくつになっても、家族にお祝いしてもらうと素直にうれしいものですね。
そういえば、以前デンマークに行ったときに聞いた話では、
誕生日を迎える人がみんなを招いて感謝を伝えるのが習慣なのだとか。
ガーデンパーティーを開いて、知らない人まで混ざってしまうこともあるそうです。
「楽しそうだから入っちゃった」なんていう人もいるくらい、
とてもにぎやかで自由なお祝いの仕方なんですね。
静かに祝われる誕生日も、みんなでワイワイ祝う誕生日も、
それぞれのあたたかさがあるなあと感じた一日でした。
今日もいい日をお過ごしください☀
※AI生成イメージです↓

2025.10.27
今朝の気づき、心のノートに #16 あっという間に
2025年10月27日 お金も時間も、あっという間に
小学校3年生の頃のことです。
毎年行っていた地元のお祭りに、その年は2000円を持って出かけました。
いつもは500円くらいしか持って行けなかったので、当時の私にとっては大金です。
ヨーヨー釣りやスーパーボールすくいは1回50円や100円。
「2000円もあれば、なんでも買える!」と思い、まわりの友達に
「今日、俺金持ちだからおごってやるよ!」なんて言いながら、気前よく使っていました。
ところが、あっという間にお金がなくなってしまって、
自分の欲しいものは何ひとつ買えませんでした。
あのときの衝撃――「お金って、こんなに簡単になくなるんだ」という気づきは、今でも記憶に残っています。
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先日の土曜日、地域のまつりで、ヨーヨーとスーパーボールすくいの担当をしました。
たくさんの子どもたちが来てくれて、その中に、何度も挑戦する男の子がいました。
小銭を握って、「この黒いスーパーボールが欲しい!」と何度も挑戦するのですが、どうしても取れない。
最後の100円を出すときには、手の中のコインをじっと見つめて、
「うーん……」と迷っていました。
結局、全部使い切っても取れず、悔しそうに帰っていきました。
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片づけのとき、少しスーパーボールが余ったので、
「残しても仕方ないから配ろうか」という話になり、
近くの子どもたちに無料で配りました。
そのとき、さっきの男の子がその様子を見ていたんです。
「あんなにお金使ったのに……」と思ったかもしれません。
胸の奥がちくっとしました。
子どもの頃に感じた「2000円がすぐになくなった」あの感覚と重なって、
お金も時間も、やっぱり有限なんだなと改めて感じました。
限られたお金、限られた時間。
「ある」と思っていても、気づけばすぐになくなってしまう。
だからこそ、どう使うか、誰のために使うかを大事にしたいなと思います。
※AI生成イメージです↓
2025.10.20
今朝の気づき、心のノートに #15 「休む勇気」と「働く心地よさ」
2025年10月20日 「休む勇気」と「働く心地よさ」
先日の夜のことです。
翌日の講座の準備を家でしていたのですが、気づいたら夜の11時を過ぎていました。
そこまでは覚えているのですが、そのあとの記憶がなくて…。どうやら途中で寝落ちしてしまったようです。
ふと目を覚ましたのは夜中の12時半ごろ。
パソコンの画面は小文字の“d”で埋め尽くされていました。
思わず笑ってしまいました。あぁ、疲れていたんだな、と。
最近、デンマーク在住の知人から、「デンマークの働き方」について話を聞きました。
デンマークでは“とにかく休む”ことへの意識が高いそうです。
集中力が落ちて無理に働き続けるより、その方が結果的に生産性が高いという考え方です。
その話の中で印象的だったのが、ある放送局でのエピソードです。
編集の締め切りに間に合わせたいスタッフが「残業させてください」と申し出たところ、上司はこう言ったそうです。
デンマークでは、夏に1ヶ月バカンス休暇をとる人も多く、レストランさえ休業することも珍しくないそうです。
「休むこと」は、もはや基本的人権の一部として尊重されているそうです。
それに比べると、日本は「休む」ことに少し罪悪感があるように思います。
「KAROUSHI(過労死)」は世界で驚きとともに知られている日本語になってしまいました。
心身を整えることは、いい仕事をするために欠かせないこと。
昨日の“d”事件も、そんなメッセージだったのかもしれません。
「ちょっと休もうよ」と、パソコンが代わりに訴えてくれたのかも。
これからは、無理をする前に、少し立ち止まって休む勇気を持とうと思います。
その方が、きっといい仕事につながるから。
※写真はAI生成イメージです
2025.10.06
今朝の気づき、心のノートに #14 工夫
2025年10月6日 どいてーと言われない工夫
以前、自宅で仕事をしていたときのこと。
妻が掃除機をかけていて、私のところに来ると、「どいてー」と言われました。
そこで今回は、先回りして自分でイスを持ち上げて移動し、隣の部屋の掃除が終わるのを待っていました。
この話をある女性にしたところ、
「そういう時は“いつもありがとう、今日は自分がやるよ”って言えば、どいてーって言われないよ」
とアドバイスをもらいました。
一方、別の男性に話すと、
「うちなんか“掃除機の柄で圧をかけてくるだけ。話しかけてもらえるだけいいじゃん」
とのこと。
ちょっとしたエピソードでしたが、人によってアドバイスの仕方や受け止め方がまったく違うのが面白いなと感じました。
同じ出来事でも、視点や言葉ひとつで全然違ってくる。そんなことに気づかされた一コマでした☺
※画像はAI生成イメージです☺
